「関ヶ原古戦場」 五感ヒーリング

TAKAです。

天下分け目の関が原にいってきました。

関ヶ原 決戦地

大谷吉継

小さい頃に親父に連れられてきたことあったんですが、
久しぶりの来訪です。

写真はボランティアの人たちでヒマ人ですね。

鎧は当時20キロほとあったそうです。

重いな・・・

案外、軽装の足軽のほうが1対1では強かったりして。

当時は肩もあがりにくかったそうです。鎧は。

2人で写っているのは、左が大谷吉継、右が島津義弘
のコスプレ?だそうです。

以外にかっこいい。島津の仮面がいいな(^^)

ほとんど西軍の陣跡を視察となりました。ほとんど
というか全部ですね。

石田三成 笹尾山

この見晴らしは石田三成が陣をしいた笹尾山からの
見晴らしです。

眼下に繰り広げられる死闘はすごい迫力だったんでしょう。

すぐ下には、島左近が三成を防御するように陣をしいて
います。

島左近

↑ 島左近陣跡です。戦いが始まった直後は一進一退の
攻防だったとか。小早川秀秋の寝返りで一気に形勢が
傾いたみたいですが、

もし小早川秀秋と毛利輝元が攻撃の狼煙と共に
東軍に襲いかかっていれば、東軍はやられて
いたでしょう。

それほど、西軍の布陣した地の利は見事だったようです。

島津義弘 陣跡

島津の退き口で知られる島津義弘の陣跡です。

個人的には一番興味がありましたし好きですね。
島津義弘の正面突破って男なら誰しも「かっけええ」
と思うでしょう。

面白いのは、参戦の要請に来た三成の使者が下馬しなかった
ことに対して「無礼だ」と激怒し、追い返していることです。

確かに、無礼だったのかもしれませんがその前にいろいろ
積極的に三成に加担しようと思うだけの材料がなかったのかも
しれません。

関が原前の大垣で島津軍を残して大垣城に入場した
三成の行動や夜襲の提案を退けられたことなどいろいろ重なって
不満がmaxの状態の時に、三成の使者が地雷を踏んでしまったみたいな・・・

三成自信が横柄なところがあったと言いますから、
部下もその色に染まっているところもあったでしょう。

もし、三成が島津義弘を気持ちよく参戦させていたら
相当の武力があったと言いますから、形勢は西軍優位で
小早川秀秋の寝返りも防止できた可能性もありますね。

動かない舞台というのは、ようするに形勢を見て
勝ちそうなほうにつくという姿勢で参加しているでしょうから。

まぁあまりかっこよくはないですが、現実的には
そういう部隊があってもしかたないでしょう。

大谷吉継 呪

わずか600の兵力で15000の小早川の大軍を3度
も松尾山に押し返したという大谷吉継の墓です。

最後は家来の湯浅五郎に介錯させて自害。

湯浅五郎は首を隠している時に藤堂高刑に見つかってしまうが
自身の首と引き換えに主君の首を隠してほしいと懇願。

藤堂高刑は徳川家康の詰問に最後まで秘して
明かさなかったとか。

このあたりの武士の情けは涙ぐましい話です。

大谷吉継 陣跡

大谷吉継はかねてから、小早川秀秋の寝返りを想定
していたようでこの場所から松尾山の動きを観察
していました。

行った時期が12月初旬でしたので
松尾山は紅葉がキレイでしたよ。

この後じつは、小早川秀秋の陣跡の松尾山にも
登ったんですが日が暮れてまして夜景がキレイでした。

関が原に訪れる人は多けれど松尾山まで
登る人はあまりいないそうです。

確かに、山頂まで歩いて30分ぐらいかかるし
決戦地から松尾山はちょっと離れているので
無理もないかもしれません。

関が原 決戦地

旗がたっているところが一番戦闘が激しかったという
決戦地です。

わかんねぇ〜っつぅ〜の

関ヶ原 開戦地

う〜ん よかった。

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